UNIX/Linuxのシェルスクリプト

を変えなくてはならない、という主張をたまたま見かけた。

リンクを張ると何かと面倒なことになりかねないので張らないけれど、文章が長い割には何を言いたいのかがよくわからない気がする。

例えばシェルスクリプトでは単純テキスト以外扱えないとあり、その一例としてCSVを挙げているけれど、正直CSVファイル自体仕様が厳密に決まっておらず、いつも取り扱いに困る。

CSVファイル作成プログラムによって、フィールドをdouble quotationで囲ったり囲わなかったり、&0Dなどの改行コードをフィールド中に入れたり、なんだかみんなやることが一定しないのだ。正規表現の問題も割とそう。

で、結局こういうのは柔軟に扱わなくてはならないので、固定的なシェルスクリプトコマンドではなくて、それ以外のプログラムで扱わざるを得ない。

JSONは比較的厳密に書き方が決まっているけれど、その前にXMLが流行っていたころに、XMLシェルスクリプトが扱えるようにすべし、ということになるだろうか。でもそれこそXMLはかなり行儀よく書かないと、読む側がとっても困るものがぼんぼん作られてしまう。

 

あと、プログラム言語は移植性が高いとあるけれど、確かに同じバージョンのPythonはOSが違っても大体同じように動くけれど(パスの書き方はどうしてもローカルになる場合もあったり、文字コードの扱いも違ったりするかな?)、Pythonとかはそもそもバージョン間の違いがあれこれありすぎて困る。